単に商売目的や普及目的が主要である作家ならば、その客層(読者)に対して広く浅く表現することは重要な要素の一つであるだろう。しかし全ての作家が商売や普及を第一目的として活動しているのではないことは明白だ。そしてそのような(後者の)作家のなかには僅かながら或る目的を主要のものとしている。かかる作家にはーー自明のことながら広く浅く表現することもできるのだが、なぜならそんな平俗化(簡潔化)の手法など何ら難しいことではないから。ともかくーー自己の活動力の適正に準じてその読者に対して狭く深く表現することが重要な要素の一つとなる根拠がある。

「平和」なるものを和合や協調あるいはそうした傾向のものとして規定される限り(事実、大衆にとってはそのようであるが)、それ(「平和」なるもの)は必定的に戦争の不在すなわち戦争していない状態と規定されることになる。だがこれは危険である。

誰しも自分だけの道がある。あなたは自分の道のことが気になる。だからあなたは、あなたの道程を眺望するであろう。ところがいくら遠くを見ようとも、あなたの道はあなたの道として続いている、という事実が残るだけである。

なぜ仕事以外では好んで語りたがらないのだろう。おそらく根底の部分で満たされているからであろう。何によって? 確信ある自信によって。それは負の情念から薙ぎ倒されることなき能動的な性質のもの。

人生は旅
すべては旅の途上にある
だが、探求の旅が完遂することはない
それでも探求は続けるだろう
私たちの目的が探求それ自体にあるからだ