世間一般で理解されている良識すなわち「物事を正しく判断し、正誤を区別する能力」としての良識では私は満足できない。私にとっての良識とは、〈第一真理〉の類似性に基づくところの「理性」あるいは「普遍概念、常識概念、共同概念」の本性的展開によって表現された共有的判断力のことである。それゆえ、良識は〈永遠性そのもの〉に共有的に向かっていなければならない。もしくは、良識の活動は本性的に永遠性を分有していなければならないのだ。

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