憎い創作家の作品に嫌々ふれて粗探しに時間を費やす者は、自身の精神の〈芯〉を傷つけているだけである。言い換えれば、その作品はなんら損害を被ることはないのである。なぜなら、「作品」と呼ばれるに値するものは、強固な愛の結晶であるからだ。
ところで、憎悪は心の弱さからもたらされる。それゆえ、そうした病弱・薄弱な負の情念によって、作品の〈芯〉が砕かれることは決してありえない。

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