愛情、それが真のものであるか、偽のものであるかは別にして、それを動機に他者のために何かを行う際、そのことを公言する者と、しない者とがいるだろう。他者に公言する者は、利己的で、また酷く低級な人間である。そうであるかぎり、つまり酷く低級な人間であるかぎり、そのような者は早々お目にかかれないため、素材・題材としては有難い存在だ。
 ともかく、「あなた(たち)のために」などと公言することで自身の脆い心の安定を図ろうとする者は、妥当な意思によって公開しない者、すなわち心の内で密かに(真の)愛を高め育む者との〈人間性の差異〉を生じさせてしまう。この生起された惨めな差異は、心の弱者である公言する者によって妥当な意思ある者のせいにされることが多い。これは負の情念に支配された心の弱者における心の強者への責任転嫁の一種である。心の弱者が心の強者に対して狂ったように牙をむいて吠えることは少なくない。これに対して、心の弱者の卑怯な行為に黙過あるいは俯瞰することは健全で正当な行為である。その理由の一つは、その責任転換という虚勢的な威嚇に対して自身の創作や研究の素材・題材として善用する方法があるからだ。

「」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です